教科書を読んでいても、日本史の流れが掴みにくくないですか?
流れをつかみたいのであれば、ストーリーにして読むのがおすすめです。
私は、歴史小説や漫画を読んで理解を深めることができました。
そこで今回は、日本史の流れをつかんでほしいため、古代についてまとめています。
日本建国(古事記)
天地が分かれ、神々が現れ、最初の国づくりが描かれています。
太陽の女神アマテラス、その弟スサノオ…。
やがて神武天皇が即位し、「日本」という国の礎が築かれていきました。

古事記は、絶対見てね。
今回は大幅に省いてるけど。。。
弥生時代
コメ作りが広がり、人が定住するようになりました。

しかし、争いが起こるように…。
なぜ争いが?
- コメ作りに適した土地がほしいから
- 人手がいるから
- コメなどの食料を確保するため
よって、この争いから生き残るため、リーダー(支配者)が登場しました。
リーダーは、クニを作りました。

この時代の有名人が邪馬台国の卑弥呼。

私は、占いが得意なのよ。占いで明日の天気だってわかるわ。
卑弥呼は、魏に朝貢しに行っていました。

朝貢って何?

魏に奴隷や食べ物を貢ぐことだよ
返礼で魏は、金印を与えていたんだ。
卑弥呼が亡くなってからは、魏の国内も邪馬台国内も混乱状態で朝貢が難しくなりました。
日本に文字がなかったから、その後100年程の詳細は分からないのです。
古墳時代
各地で巨大なお墓がたくさん作られました。

ということは、ヤマト政権が成立していたのです。

ようやく歴史にはいりますよ
ヤマト政権とは?
ヤマトを中心に豪族(各国のリーダー)が連合してできた政権です。
豪族たちをまとめたのが大王(天皇)でした。

政略結婚で連合を強固にしたんだよ。
外交は、朝鮮半島を経由して宋としていました。約100年ぶりです。
そして、渡来人がやってきました。

なぜ渡来人が来た?
当時の朝鮮半島は、3つの国に分けられ、争っていました。
争いが激化していくと、多くの人が避けるために日本へやってきました。
- 文字(漢字)を伝えた。
- 先進技術、堅い土器の作り方を伝えた。
- 仏像や経典を持って仏教を伝えた。
- 儒教を教えた。

こういった渡来人には役職が就きます
飛鳥時代
さらに、ヤマト政権を発展させていきます。

推古天皇、蘇我馬子、厩戸王(聖徳太子)が活躍しました。

二人の政策を実行していったわよ

仏教を受容し、建造物をたくさん建てました。

冠位十二階・憲法十七条を提案しました。
外交は、隋に「これからは対等でいくから、よろしく。」と手紙を送りました。
これには、隋の皇帝もカンカンに怒りますが、見逃しました。

ヤマト政権では、天皇が一番偉いという姿勢が一貫して出てきます。
それからしばらくして...
中大兄皇子(のちに天智天皇)と中臣鎌足がクーデターを起こします。(乙巳の変)

(天智天皇)
天皇は蘇我氏に操られていたからだ。
天皇中心の国家を作るためには、やらねばならなかった。
- 公地公民にしたこと
- 首都を作ったこと
- 戸籍を作ったこと
- 一定の税金を課したこと
- 未開拓の土地(東北)を支配すること
- 九州の要地に兵隊を配置したこと
天智天皇が崩御、後継者争い(天智天皇の息子VS天智天皇の弟)になりました。(乙巳の変)
戦争を起こして、勝者の弟(天武天皇)が即位しました。

戦争に勝ったから、わし(天皇)の権威は高かったぞ
- 豪族の私有民を全廃したこと
- 天皇から近い順番に8つの序列をつけたこと
- 仏教を国家事業にしたこと
- 日本最古のお金(富本銭)を発行したこと
国の安定と平和を図るために仏教事業をを始めました。

天武天皇は、皇后の病気平癒を願って薬師寺を建立したんだよ

天武天皇が、崩御。皇后はしばらく息子のために即位しないで頑張ります。
が、息子は早逝。孫のために即位します。

夫の事業を完成させていったわ
- 飛鳥浄御原令の施行したこと
- 本格的な戸籍を作ったこと
- 藤原京の造営を完成させたこと
奈良時代
元明天皇は、藤原京そして平城京という都を作りました。

中国の律令制度を基に日本の基本的な法律ができました。(大宝律令)
律令とは?
- 律は、犯罪をしてはいけないこと。
- 令は、個人同士のルールや行政と個人のルールを守ること。
いわゆる法律ですね。

大宝律令を制定し、
私を中心として養老律令を考えました。
- 刑法
- 五刑:罪の重さによる5種類の刑罰です。(苔・杖・徒・流・死)
- 八虐:特に重い罪は8つに分けられます。(謀反・謀大逆・謀叛・悪逆・不道・大不敬・不孝・不義)
- 政治機構
- 二官八省:(二官=神祇官・太政官 |
八省=中務省・式部省・治部省・民部省・兵部省・刑部省・大蔵省・宮内省) - 官位相当の制:位階に応じた官職に任命される制度。
- 蔭位の制:官僚の子・孫はフライングスタートできる制度。
- 二官八省:(二官=神祇官・太政官 |

律令制度は今も続いているよ

農民たちを支配するために戸籍を作りました。
班田収授法
- 租:田にかけられる税金を納めること
- 調:郷土の特産物を納めること
- 庸:労働で国に奉仕すること
- 防人:選ばれた成人男性は九州北部の沿岸を防衛すること
- 口分田:一律に支給された農地
こうして基本的な法律が整いました。
さて、政治はどうだったのかというと…?
奈良時代の政治
天皇と藤原氏を中心に政治を行います。
藤原家は、地位を確立するため、天皇家と親戚になっちゃいます。
そして権力を巡る血みどろのラブコメ展開に…。

そんなことをしている間に農民たちは田んぼから逃げてい行きました。(浮浪、逃亡)
しかも戸籍を偽ったり、僧侶になったり(僧侶は税金がかからない)と脱税者だらけになしました。
なぜ農民は逃げた?
国や税の仕組みが整い、重い税金が課されるようになりました。
つまり、税金を払いたくないから逃げたのです。

脱税するな!対策するから!!
- 脱税者には刑罰を与える
- 経営システムを変えます
- 三世一身法:三世代までは私有を認めます
- 墾田永年私財法:墾田の私有を認めます
少しだけ対策をしたかいがありました。
さて、外交です。

行基や鑑真、空海や最澄が日本へやってきました。
現代の日本仏教を支えた超有名人です!
政府は、唐で学ぶべきことがなくなってきたと感じました。
超有名人も来たことだし、それに金かかるし…というわけで遣唐使を停止しました。

奈良時代は眠たくなるような事が多いね。
平安時代
桓武天皇が長岡京から平安京に遷都します。

長岡京は怖くて住めん
- 東北出征(蝦夷征討)
- 律令の見直し
- 勘解由使:地方支配を強化するために設置した国司交代の監視官
- 健児の制:地方の有力者中心の子どもたちを兵士として採用した制度
後継者争いが起こります。
また、天皇家と藤原家のラブコメが始まります。

藤原氏の中でも天皇を巡って争うけど、最終的には道長が絶対的な権力者になったよ。

この世の中ちょろい
政府は気づきました。
墾田永年私財法は効果がありません。
戸籍登録はいまだに少なく、農民たちは逃げていきます。
よって、人に税をかける方法をやめて土地に税をかけるようになりました。
このような転換で新しい動きが出てきます。
「荘園」と呼ばれる私的な土地の所有が増えていきます。
荘園の領主は、農民の税を中抜きして政府に送っていました。
朝廷も領主も税金のことしか考えていません。
農民は多額の税を課されていきます。
自分の身は自分で守らなければいけません。
そこで、権力者達は武士を雇うことにしました。
武士とは?
- 徴収した税を守る軍隊
- 権力者のボディーガード
をしていた人たちです。
しかし、地方の武士団が各地で反乱を起こしました。

- 平将門の乱
- 藤原純友の乱
- 平忠常の乱
- 前九年合戦・後三年合戦
現地での解決が難しいので、中央から武士を派遣して鎮定に向かわせました。
地方武士や盗賊が、税金を奪うので税金が中央政府に入ってきません。
政府は経済的にも苦しくなってきました…。

いよいよ武士の時代がやってきた!ワクワクするよ!!
まとめ
なんとなく流れはつかめましたか?
弥生時代は、コメ作りの時代
古墳時代は、ヤマト政権の時代
飛鳥時代は、天皇中心を目指した時代
奈良時代は、法律の時代
平安時代は、貴族と武士誕生の時代
古代は日本の政治基盤を作っていきました。